1983-2023 1983アルコ堂EXの旅

~「1983アルコ堂EX」の復活 ある意味、備忘録

高橋幸宏音楽との40年④~高橋幸宏サイン入り「NEUROMANTIC」。

 

前回、エッセイ集「犬の生活」にご本人のサインが入っていた話をしたのだが、実は所有しているalbum「NEUROMANTIC」も。YMOとイラストも入っていることから、YMOのalbum「BGM」時期だと思われる。

 

ただし、これは直接いただいたものではなく、中古レコード販売会で入手したもの。価格は1,000円程度。ジャケット状態はあまり良くないのだが、大切な一枚となった。中古レコード販売会は時々前所有者の痕跡が残されていて興味深い。

 

それにしても、サインの存在とは何だろう。色紙にサインならまだ理解ができるが、商品にサイン。商品の価値を下げることであるが、購入した段階で商品は個人所有となるわけでそれには当たらないのかもしれないが。

 

それから、興味がない人にとっては何の価値がないのも面白い。個人的には音楽家、映像作家、文筆業にしか興味がない。所有しているサインでも公開していくのも面白いかも。自分の興味の対象が分かるかもしれない。

 

結局、サインはその対象に対する愛情を図る目安なのかもしれない。

NEUROMANTIC/高橋幸宏

高橋幸宏音楽との40年③~高橋幸宏エッセイのコト。

高橋幸宏の書くエッセイには不思議な魅力がある。

力が抜けているというか、肩ひじ張らなくても読めるような雰囲気。そして彼の音楽にも通じるユーモアを感じる。

とはいってもそれだけではなく、時として寂しさを感じる瞬間もあるのだが、まさに彼が作り出す音楽と同じではないかと思うのだ。

そして同じく音楽家である星野源の書くエッセイにも通じるような気がする。

 

急に高橋幸宏エッセイを読みたくなり、書棚のYMOコーナーを物色してみた。

「犬の生活(JICC出版局)」

「ヒトデの休日(JICC出版局)」

「心に訊く音楽 心に効く音楽(PHP新書)」

の三冊があった。

 

日常の出来事(と言ってもやはり幸宏さんの日常はお洒落すぎて、自分とは世界が違いすぎるのだが…)、そして音楽がらみのエッセイが多いのは当然として、特に犬に関する話題が多いことに気が付く。

「犬の生活」では、犬写真がエッセイの合間に挟み込まれていて、犬に対する思いが伝わってくる。特に「ルル」。幸宏少年と飼い犬だったルルとの思い出が描かれた一編。ただしその思い出は悲しさにあふれ、ペットとしての犬に対する苦い記憶と一つの誓いいでもあるのだ。

 

同著収録「1988年・夏」は当時自分を取り巻く状況と微妙にリンクして胸が痛くなる。テラ・インコグニータ(未知の領域)細野晴臣高橋幸宏に提示したその言葉を今改めてかみしめてみるのだ。

 

さて、今夜は高橋幸宏音楽を聴きながら、エッセイを読んでみようか。

 

所有する高橋幸宏エッセイ集

余談:「犬の生活」を読もうとしたら、高橋幸宏サインが。

この本は、第二期サディスティック・ミカ・バンドのライブで物販購入したもの。

今となっては貴重な一冊に。

高橋幸宏音楽との40年②~好きな楽曲

好きな高橋幸宏音楽は何か。
当然のことながらその時々で変化するわけで、しかも膨大な曲数の中から選ぶとなると困難な作業ではあるのだが、今現在聴きたい5曲を選んでみる。
YMO作品、プロデュース作品は除くこととした。
果たして選べるだろうか….。


1 回想(What,me worry?)
2 Curtains(NEUROMANTIC)
3 今日、恋が(スネークマンショー2)
4 Present(Saravah!)
5 Left Bank[左岸](EGO)

…、選べた。


こうして選んでみると面白い発見がある。
全て他者との共同楽曲を選んでいるということ。
特に坂本龍一が関わっている曲を4曲選んでいる。1.2は坂本作曲作品、3は坂本の編曲作品、4は坂本とサウンド共同プロデュースアルバムからの1曲である。
そして5は鈴木慶一とのビートニクス名義の楽曲が1曲という具合。
偶然とはいえ、他者との共同により生み出された音楽を選ぶことになった。

もちろん、好きな単独作品がないわけではないのだが。

 

思うに、高橋音楽の本質は共同作業にこそあるのではないか。

参加バンド数も多種に渡るし、プロデュースでは音楽家たちの魅力を活かし、なおかつ新しい才能(例えば、高野寛であり、SETであり、シーナ&ロケッツであり…、数限りない。)を発掘し続けている。

最近ではやはりMETA-FIVE。砂原良徳小山田圭吾テイ・トウワが一堂に介するとは、20年前の自分に教えたいものである。

高橋幸宏だからできたと思わざるを得ない。

 

続きはまた。

高橋幸宏音楽との40年①。

2023年1月11月、高橋幸宏さんが亡くなった。

 

様々の著名人、一般人がコメントを寄せているが、個人的に感覚として実感がわいていないのも確か。
なにしろかれこれ40年以上途切れることなく、ソロ活動は元よりプロデュース作品、提供楽曲、参加プロジェクト、映像作品等など膨大な音楽作品を聞き、見続けている。


しかも自宅にサブスクのような形がないデータとしての音楽ではなく、CDやレコード等の物理メディアとして音楽が残されている。

その膨大な音楽の集合を前にして、音楽に託された圧倒的なエネルギーに呆然としてしまう。

 

「新しい音楽作品が聞けなくなった」という気持ちも分からないでもない。

だが彼のほとんどの音楽(YMO活動期、1980年以降はほぼリアルタイムで)を聴いてきた者としては、彼が残してきた音楽、聴いてきた音楽、影響を得た音楽をまずは一通り聴いて欲しいとも思う。

回顧と思わないわけでもないが、その行為を通じて、未来に作ったかもしれない未だ来ない新しい音楽を想像するのもまた、彼の新しい音楽的なものを聴くという行為ではないか。もはや妄想ではあるが・・・。

 

人はこの場所から確実にいなくなる。

悲しいことであるが、音楽家や優れた芸術家たちは「ゼロ」から「今までここにはない」モノを作り出してくれた。

せめてその「残してくれた」モノに思いを馳せ、聴くことで追悼したいと思うのだ。

Radikoについてあれこれ②。

昨日の続き。

 

1については、在住している場所に限らず、北海道から沖縄までのAM、FMの番組が聞ける、ということ。
個人的に関東圏で聞ける、「BAY-FM(千葉)」、「INTER-FM(東京)」が聞けるようになったのが一番の収穫であった。同じ関東圏の「TOKYO-FM」、「ニッポン放送」などは地方局でも(一部の番組ではあるが)聞くことが出来るわけだが、前記の二局の番組は聞くことすらままならないのだから。

 

2については、大気圏を飛び交う電波を受信して聞くのではなく、インターネット回線で聞くため、FM、AMともに雑音がない。特にAM。AMの音楽番組と言えば雑音混じりで到底音楽を聞いているとはいえなかった。しかし考えてみればFMとの差異がなくなり、同時に個性がなくなったとも言える。余談だが東京の修学旅行で一番感動したことがラジオの雑音のなさだった。あれから40年近く経過しているのだが、あの時の感激は未だ忘れられない。

 

3については、過去一週間であればいつでも番組が聞けるのだ、しかも繰り返し何度も。
もっとも個人的に気に入った番組は録音するので、あまり恩恵はないともいえるが、録音し忘れたものがある場合、タイムフリー機能は非常に助かる。

 

4については、好きなアーティストの番組が聞ける、というより、情報を得ることが出来るという方が近いか。
ある意味ではかつて音楽雑誌が担っていた役割を果たしていると言えるのかもしれない。インターネットがその役割を担っているのではないか、という見方もあるが、少々ニュアンスが違うように感じる。

 

また、好きなアーティストの番組が聞けると同時に、アルバムあるいは新曲リリース時、プロモーション番組を追いかける楽しみがある。例えば細野晴臣𠮷澤嘉代子、中島愛、竹内アンナ、山下達郎西村由紀江、藤井風等など自分が好きなアーティストがアルバム、または新曲リリース時、出演番組を全国のラジオ局から探していく。

特に若手アーティスト竹内アンナのセカンドアルバムリリース時には、実に50番組を超える出演があった。
テレビではこうはいかない。テレビにあまり出ないアーティストばかりだし、そもそも純粋に音楽について話してくれる番組など皆無なのだから。小回りが効くところがラジオの利点である。

 

そして一番重要なこと。
これだけの楽しみを与えてくれるラジコプレミアムが月額400円程度の負担で利用できること。実に申し訳ないほどである。

いつまでもこのサービスがなくならないことを祈るだけである。

Radikoについてあれこれ①。

基本的にラジオは放送局から発信された電波が届く範囲でしか聞くことができないわけで全国ネットしていない限り関東の放送局の番組は、東北や九州では聞くことができない。


例えば秋田県であればFMはNHKと民放、AMはNHK二局と民放が聞ける程度ということになる。
運がよければ隣県放送局のもの、またはAMであれば夜に遠距離放送局の番組が聞けるが、高音質は望めず雑音混じりのものを耳をすまして聞くことになる。

 

そもそも、ラジオを受信できる受信機がなければラジオ番組自体聞くことができず、ラジオをどうやって聞くのかさえ分からない世代も存在しているだろうし、自分自身ラジオ受信機を長い間所有していなかったほど、ラジオから離れた生活を送っていた。ラジオは旧メディアという認識だった。

ところが、である。
有料のラジコプレミアム導入後、生活が一変したように思う。


特に次のような部分に魅力を感じる。


1 全国のご当地ラジオ局の番組が聞ける。
2 雑音が皆無。
3 タイムフリーにより時間制約がない。
4 好きなアーティストの番組が聞ける。

 

続きは明日。

アルバム「アルヒハレノヒ/遊佐未森」1995 ②

遊佐未森 アルヒハレノヒ


昨日の続き

 

遊佐アルバムでは、世界観を統一するため同系統の楽曲が収録される傾向があるのだが、「アルヒハレノヒ」は比較的緩やかでバラエティーあふれる曲が収録されていて、カラフルな耳ざわりのよい仕上がりになっているのも素晴らしいところである。

 

特に、このアルバムには自分にとって大切な一曲でもあるシングル曲「咲くといいな」が収録されている。

あの頃の二人の姿を回想しながら、もう戻れないと知っているが、今の君の幸せを祈らずにいられない…、切ないながらも希望あふれる曲。

歌詞と曲と編曲のバランスが絶妙で、個人的にも思い出と思い入れがあり何度でも聴きたくなる。


それ以外にもトミーマンスフィールドによる「小鳥」「スローリー」などが収録されている、今でも好きな遊佐未森のアルバムである。

 

余談:楽園、南国をイメージしたアルバムであるのだが、ジャケットやアートディレクションが残念。

南国娘風の遊佐未森の姿ないいのだが、実に寒々しく南国独特の熱が伝わってこないいのだった…。

しかしながら、あえて雨の日の楽園をイメージしたのなら、それはそれでアイロニーあふれたアートディレクションといえるかもしれない。